意見文#1 「あついなど私は言わない」

こんばんは! ぶんちゃんです

 

 

唐突ですが、意見文を載せてみたいと思います。

 

あついなど私は言わない

私は、今の日本国民として、日本語に対して意見があります。

 普段何気なくしている会話から、季節を表現する言葉が少なくなってしまったことです。春夏秋冬と四季がある日本では、四季折々の植物が花を咲かせ、赤とんぼやアブラゼミといった、限られた季節でしか生きれらない虫たちもいます。そして、その虫たちも限られた季節を私たちが日本語で表現するときの貴重な材料となります。しかし今の日本人は、季節の表現を会話の中にどのように取り込んでいるでしょうか。

 

 例えば、日本に夏や冬が訪れたとき、人々は「あつい」や「さむい」といった大衆的な言葉を繰り返します。他にもたくさんその季節を表現する言葉があるにも関わらず、私たち日本人は、口から出てこない上に、頭の中では考えもしないのです。

 

 私は、この現状に対して残念に思います。一年の中で一回しか来ない貴重な季節を、たった三文字で済ませてしまうならば、その季節に日本人は、とてももったいないことをしているのであると、私は今年の夏に思いました。

 

 時代が変化するにつれて、私たちの生活も変化しました。例えば、地方から都会へと移住が進み、一戸建てではなく、マンションやアパートのような集合住宅に住むようになりました。集合住宅では庭がほとんどないことが多く、虫たちや植物と触れ合う機会が少なくなりました。また、身の回りには人工物が溢れ、パソコンやスマホ、テレビなどのメディアに私たちの時間は奪われ、動物や植物や虫たちは映像で見る時代なのです。

 

 要するに多彩な季節に恵まれている日本でも、日本人が知っている自然を表現する日本語の数がとても貧しいのです。そして季節を表現する貧しさに気づく前までは、私も夏が訪れると、毎日のように「今日もあつい」と家族と会話をしていました。しかし、そんな私を気付かせてくれたのは、ミンミンゼミでした。ミンミンゼミは「ミーンミン」と鳴いて、夏の季語でもあります。私は、セミの鳴き声を毎日聞いているうちに、セミも今の日本人と同じように夏の季節を「あつい、あつい」と同じことを繰り返し言っているのではないかと、思うようになりました。セミのおかげで私は、自分が知っている季節の言葉の少なさに気づき、日常的に使っている日本語を改めて考えてみると、私は、普段意識していないだけに、「い抜き言葉やら抜き言葉」を使っており、これからの私自身の日本語に対する課題でもあります。

 

 そこで、試しに夏の季節の際に「あつい」を使わずに会話してみると、今までとは違う新鮮な会話となりとても面白いと感じると思います。

 

 このように日本語を学ぶ・話すにあたって必ずしも教科書が全てかというとそうではなく、自然界が教えてくれることもあるのだと実感しました。動物・植物・昆虫、あらゆる生き物をよくよく観察すると、まだまだ隠れている日本語への問いかけがあり、それを発見することも、日本語を話す私たちの使命ではないでしょうか。